【北野天満宮】と周辺散歩

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    学問の神様と言えば菅原道真ですね!そんな菅原道真を祀っているのが北野天満宮です。

    修学旅行で京都を訪れている中・高3年生にとって大事なパワースポットになる事間違い無しです!

    今回は北野天満宮と歩いて行けるオススメスポットをご紹介します。

    ・菅原道真さんが天神さまになった訳【北野天満宮】

    ・京都大改造豊臣秀吉が京都に作った【御土居】

    ・たくさんの桜が咲き誇る社として有名な【平野神社】

    ・京都最古の花街【上七軒】

    目次

    北野天満宮

    北野天満宮は947年に建立された、菅原道真(すがわらのみちざね)を御祭神としている天満宮です。

    ではなぜ菅原道真は学問の神様と呼ばれるようになったのでしょうか。

    菅原道真は、学者であり、政治家であり、神職なのです。

    みどりこ

    道真さんはたくさんの才能がある人だったんだね

    政権争いにより太宰府に左遷されてしまいますが、後に菅原道真公として多くの人々に厚く慕われ尊敬されるようになりました。

    娘さんが受験生の年にはもちろんお参り&学業鉛筆を買いに行きました

    ここでちょっと菅原道真さんについて学んでいきましょう!

    道真は無実の罪により太宰府に左遷されてしまう

    太宰府天満宮

    たくさんの才能を持ち合わせていた菅原道真は宇多(うだ)天皇の側近として働き始めます。

    その後、朝廷の最高職である右大臣に就任し、藤原氏と並ぶ権力の頂点に立ちました。

    今で言ったら、内閣総理大臣が『左大臣』副総理大臣が『右大臣』に近いと思います

    しかし彼の昇進を歓迎しない人々も多く、特に当時のもう一人の権力者であった左大臣である『藤原時平(ふじわらのときひら)』がその筆頭でした。

    藤原時平は当時の天皇である醍醐天皇に「菅原道真が天皇を廃位させようとしている」と告げ、結果的に道真は無実の罪をきせられ、時平の言葉を信じた醍醐天皇によって太宰府に左遷(追放)される事となりました。

    道真はその後も弁明の機会を与えられず、囚人同様の扱いで幽閉されてしまいます。

    そして道真は失意のうちにわずか2年後、非業の死を遂げてしまうのです。

    道真が左遷され藤原時平が道真に代わって権力を握るかと思われましたが、時平は39歳で突如亡くなりました。

    その後宮廷内で落雷が発生し、その際にも多数の貴族が亡くなってしまいます。

    やがては道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子までもが病で相次いで亡くなってしまいました。

    これらの一連の出来事は、菅原道真の怨霊による祟りであると恐れられました。

    Wikipediaより引用
    みどりこ

    京都で雷騒ぎがあった時、道真の領地である「桑原」には雷が一切落ちなかったから、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えるようになったんだって

    道真の死後も太政大臣や左大臣の位を与えたりと無実の罪による左遷の怒りを鎮めようとしましたが、それでも全く災いは収まりません。

    最終的に菅原道真の魂を神(天神)として祀る為に『北野天満宮』が建立され、大変多才で優秀であった道真は今でも「学問の神様」として北野の地だけではなく、全国の天満宮の神様として多くの学生たちに親しまれている存在になりました。

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