京都だけではなく日本を代表する観光名所の金閣寺と銀閣寺。
実はあまり知られていませんが『銅閣寺』もあるのはご存じですか?
今回はそれぞれの寺院の歴史背景や見どころをご紹介します!
- 金閣は金閣って名前じゃない!?
- 金閣は放火されていた!
- 銀閣は銀色ではないよね?
- 銀閣と月の密接な関係
- 金・銀あるなら銅も作っちゃう!!昭和の実業家大倉喜八郎と銅閣
金閣寺
金閣寺の正式名称は『鹿苑寺(ろくおんじ)』と言います。金閣寺って言う名前じゃないの?と思いますよね。
鹿苑寺にある舎利殿(しゃりでん)を通称『金閣』と呼んでいます。
舎利殿とは仏舎利を安置している建物です。(仏舎利とはお釈迦様の遺骨の事です)
パッと見る限り2階建てに見えますが、よーく見ると実は3階建ての建物になっています。
金閣は三つの異なる文化を融合して造られており、
- 一層目 寝殿造り
- 二層目 武家造り
- 三層目 仏殿造り
となっています。
これは、一説には権力の順番を表しているとも言われ
- 一層目が公家文化
- 二層目が武士文化
- 最上階の三層目が禅宗文化
を表していると言います。屋根には美しい鳳凰が鎮座しています。
この金閣を造らせた室町幕府3代将軍足利義満(よしみつ)は武家出身で禅僧となったので、自分の権力をこの建物で表したかったのかもしれませんね。
金閣寺は放火によって焼失していた
そしてこの金閣、約70年前に放火によって全焼しています。その際、幾つもの国宝や文化財、仏教経巻が焼失してしまいました。しかも放火した犯人は金閣寺の若い僧侶だったそうです。。
今の金閣は事件の5年後に再建されたものです。
YouTubeに金閣寺が再建された当時の映像がありました。
痛々しい姿に心が痛みます…。
三島由紀夫もこの放火事件を著書にしたためています。
わたしも金閣寺は放火によって焼失した事を知った後にこちらの本を読みました。
もし興味があったら是非読んでみて下さいね!
鹿苑寺を満喫しよう
鹿苑寺には他にもたくさんの見どころがあります。
広い境内、そして金閣寺の歴史と運命に思いを馳せてみたらいかがでしょうか。
〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1
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金閣寺と並んで非常に有名な銀閣寺。
金閣に比べて飾り気のない非常に情緒のある建物の銀閣。
『ここが銀閣なの?銀色じゃない!』と思いますよね。
銀閣と呼ばれるようになった由縁。そして金閣同様銀閣も正式名称が別にあります。
それでは銀閣寺の歴史を見ていきましょう!
銀じゃない!でも銀閣寺!
銀閣寺は正式名称を『慈照時(じしょうじ)』と言います。
先程の金閣寺は室町幕府3代将軍足利義満(よしみつ)が創建しましたが、こちら銀閣寺は8代将軍足利義政(よしまさ)が創建しました。
金閣寺は京の都を焼き払ってしまった応仁の乱でも焼失しませんでしたが(上記の通り昭和に放火で焼失していまいましたが…)こちら銀閣寺は応仁の乱で焼けてしまった浄土寺というお寺があった場所に建てられました。
銀閣と呼ばれる建物は国宝の『観音殿』です。
屋根の上には金閣同様、鳳凰が堂々と佇んでいます。観音殿には文字通り観音様がお祀りされています。
では、なぜ銀色に光っているわけでもないのに『銀閣』と呼ばれるようになったのでしょうか?
銀閣は元々黒い漆が塗られていました。その黒い漆が剥がれて下地の白い部分が日光などを浴びて反射して輝いていた事から銀閣と呼ばれ広く親しまれるようになりました。
銀閣は建物だけじゃない!砂で出来た枯山水のお庭が素敵!
銀閣には砂で出来たお庭『枯山水(かれさんすい)』があります。
こちらは銀沙難(ぎんしゃだん)と言います。中国の西湖という湖を模していると言われています。
奥に見える砂の山は『向月台(こうげつだい)』です。こちらは月を見るという事に深く関わっています。
銀閣は月見の名所と言われていました。
月見と言えばお月さまを見上げるというイメージがありますが、当時の人は池の水面(みなも)に映る月を楽しんだり、月の光を浴びてキラキラと光る銀沙難や向月台を楽しんでいました。
古(いにしえ)の人々は今を生きるわたし達には想像も付かない価値観を持っていたのですね。
そして銀閣にある東求堂。こちらは四畳半の起源になっているといわれます。
残念ながら写真がないので是非実際に行ってご覧になってみて下さいね!
〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
銅閣もあった!金も銀もあるんだから銅も造る!!
『金閣』『銀閣』は非常に有名なのでご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。
もし銅閣もあったら「え!?銅もあるの!!」と思いますよね。
実はあるんです!!
それでは銅閣についてご紹介します!
銅閣を作ったのはあの大倉財閥の設立者。大倉喜八郎。
大倉さん?オークラさん?なんだか聞いた事があるような無いような??
大倉喜八郎さんの名前を聞いてピンと来ないかもしれないですが、あのホテルオークラ、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した人物です。
大倉喜八郎さんは日本の近代化に生涯を注いだ大実業家です。
そんな大倉さんの別邸があった場所『真葛荘(まくずそう)』に銅閣は造られました。
しかし、戦後大倉家の手を離れ織田信長・信忠親子の菩提を弔う『大雲院(だいうんいん)』が移転し、銅閣もお寺の所有になりました。(あの有名な大泥棒石川五右衛門のお墓もあります)
銅閣は正しくは『祇園閣』と言います。祇園祭の山鉾をモデルに造られました。
この祇園閣を手がけたのは建築家の伊東忠太。
平安神宮や築地本願寺を設計した事でも有名です。
銅閣は世界の様々な国々の建物の様式が組み合わさって出来たここにしか無い唯一無二の建物です。
祇園を見渡すようにそびえ立つ建物は昭和2年に建てられ、高さは36メートル。鉄筋コンクリート造りの楼閣です。
屋根には金閣、銀閣のように鳳凰が…と思ったら鶴がいます!
残念な事に通常公開はしていませんが、特別公開の際には360度京都を見渡す絶景を楽しんでみたらいかがでしょうか!
第49回『京の夏の旅』公式サイトはこちら
〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側594−1
あとがき
とっても有名な金閣、銀閣、そして昭和になって創建された銅閣。
時代は違えども京都の移り変わる文化や思想を反映した素晴らしい建築物です。
京都に行った際には是非【金・銀・銅】全ての建物をご覧になって下さい!
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