東大寺の【奈良の大仏】どうしてできた?

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    今回のテーマは奈良の大仏。

    なぜあのような大きな大仏を作ったのでしょうか?そこには今を生きるわたしたちに通ずる人々の願いがありました。

    それでは奈良の大仏の歴史を紐解いていきましょう!

    • 大地震に疫病、飢饉。人々を救うための救世主
    • 大仏殿は世界最大級の木造建築
    • 柱に繰り抜かれた穴の大きさは大仏様の〇〇の穴と同じ!?
    目次

    東大寺

    東大寺は聖武天皇が仏教の教えを中心に国を守るために建てられました。

    この時代の日本は大地震政治的な争いそして天然痘が大流行したり…とても不安にさらされていました。

    そのような情勢の中、聖武天皇が『生きている全ての人々や動植物が幸せになるように』と【大仏造立の詔(みとこのり)】を発しました。

    みどりこ

    詔とは天皇のお言葉の事のだよ

    奈良の大仏の造立は国家の一大プロジェクトだった

    上記の通り東大寺が建立されたは時代は非常に苦しい状況にありました。

    今のように情報も無ければ医療が発展していない時代ですので、人々の不安は今とは比べものにならない程大変な状況だったに違いありません。

    そんな中、聖武天皇が皆を救えるのもはないかと頼ったのが仏教でした。

    不安な世の中を仏教の力で救おうと国家の一大プロジェクトとして奈良の都に仏像を造る事を決意します。

    大仏様の正式な名前は【盧舎那仏(るしゃなぶつ)】といいます。

    華厳経のご本尊である盧舎那仏は、太陽のようにこの世の全てのものを明るく照らすという意味が込められています。

    このプロジェクトには当時の日本国民の約半分にもあたる約260万人もの人々が参加しました。

    そして当時の最先端技術が取り入れられ約9年の歳月を経て大仏は完成しました。

    大仏様の高さは約15メートルでビルの5階相当にもなります。

    1300年前もの人が今のような技術もない中、あの大きさの大仏様を作り上げた事に感服です。

    それだけ皆で大仏を造るぞ!と人々が一丸となって挑んだ国家プロジェクトだったのだと思います。

    令和の今も同じようにあの感染症が流行し始めた時、ネット上などでは疫病退散を願って『令和の大仏を造ろう』なんて話もあったようです。

    今も昔も仏様にすがるという人々の想いは同じなのかもしれませんね!

    今よりもっと大きかった!2度の火災に遭うも再建された大仏殿

    大仏殿

    木造の建築物で世界最大級を誇る東大寺の大仏殿。当時の日本人の建築技術の高さが伺えます。

    ですが、創建当初は今よりもっと大きいサイズだったそうです。今の大仏殿も相当な大きさなので、もっと大きかったと聞くと本当に驚きます。

    大仏殿は二度にわたって焼失しています。

    一度目は平安時代末期。平重衡(しげひら)が行った『南都焼討』です。この戦で奈良の町は炎に包まれ、東大寺の大仏殿をはじめ数多くの建築物が焼け落ちていまいました。

    その際、戦火により大仏様も融けてしまいます。東大寺にとって歴史上最大の打撃となりました。

    その後東大寺を襲った平氏は滅亡し、源氏が実権を握ります。

    源氏や朝廷が東大寺の再建に力を注いで復興が行われ、10年も経たないうちに再建を果たしました。

    時は流れ戦国時代。戦国武将松永久秀(ひさひで)と対立する三好義継(よしつぐ)、三好三人衆、筒井順慶(じゅんけい)池田勝正(かつまさ)による『東大寺大仏殿の戦い』が勃発します。

    東大寺の境内で戦が行われた為、東大寺の主要な建物はことごとく焼け落ち甚大な被害を被る事となりました。

    ですが、一度目のようなスピーディーな復興は行われず、大仏様は120年もの間雨晒しののまま放置される事となります

    そのお姿に心を痛めた公慶上人というお坊さんが大仏様、そして大仏殿や焼け落ちてしまった東大寺の復興の為に尽力し、大仏殿は再度再建を果たす事が出来ました。

    この時に造られた大仏殿が現在私たちが目にする事が出来る大仏殿です!

    一度目の再建では創建当時とほぼ同じ大きさで大仏殿は造られましたが、二度目の再建の際には幅が約30メートル程縮小されました。理由は再建当時の資材や資金が不足した為と言われています。

    大仏殿の中には鎌倉時代に再建された大仏殿や現存する大仏殿のミニチュアの模型があるので見比べてみたらいかがでしょうか!

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    大仏様の鼻の穴!?大仏殿の柱くぐり

    大仏殿を左回りにぐるりと一周すると終盤に見えてくるのがこの大きな柱に開いた穴!何やら人がくぐっています。

    こちらをくぐり抜ける事によって『無病息災』『祈願成就』のご利益があると言われているそうです。

    ただ…人が通るには結構小さいんです、この穴。

    みどりこ

    中学の頃ぽっちゃりしてたから引っかかったらどうしようって恥ずかしくて潜れなかったんだよね(笑)

    でもこの穴は何の為の穴なんでしょう?

    その理由は安倍晴明で有名な陰陽道。

    その陰陽道では建物の北東側は『鬼門』と呼ばれ、鬼や邪悪なものが入ってくる方向とされています。

    大仏殿でもその北東の方向にある柱に穴を開ける事によって邪気を逃し、そこをくぐる事によって『無病息災』や『祈願成就』のご利益をいただけると言われています。

    でも、一般的に有名なのは大仏様の鼻の穴と同じ大きさという事ですよね!

    訪れた際には是非この柱をくぐって『無病息災』と『祈願成就』のご利益をいただいてみて下さい!

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