京都駅から見える五重塔。歩いて行ける!【東寺】

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    京都駅に着いて駅から見える五重塔。東寺の五重塔は日本で一番高い木造建築です。

    東寺には五重塔以外にもたくさんの見どころがあります。

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    目次

    東寺

    東寺の正式名称は教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。

    都が奈良から京都に移った際に平安京の入り口に羅城門(らじょうもん)が建てられ、その東側に都を守る為に東寺は建立されました。

    桓武(かんむ)天皇により建てられた東寺は、その後嵯峨天皇(さがてんのう)が当時最先端の仏教を唐で学んだ空海(くうかい)に委ねます。

    東にお寺を造ったと言うことは西にも無いとバランスが取れませんよね?

    そうです!!

    東寺と西寺はセットで造られました。

    ではなぜ東寺は今の世にも残り西寺は無くなってしまったのでしょうか?

    それでは紐解いていきましょう!

    東寺と西寺はセットだった。東寺が栄え、西寺が無くなってしまった訳

    平安京の創建当初は羅城門の西側に東寺と同規模の大きさを誇る『西寺』というお寺がありました。

    東寺と西寺は平安京の入り口羅城門の東西に左右対称に建てられ、両寺院の五重塔がまるで門柱のようにそびえ立っていました。

    芥川龍之介の『羅生門』も非常に興味深い内容だったので、東寺に訪れる前に読んでみると京都や羅生門(羅城門)に親近感を覚えるかもしれません。オススメです!

    東寺を任せられたのは先ほどの通り弘法大師空海、そして西寺は守敏(しゅびん)というお坊さんに委ねられました。

    空海は多くのお寺の建立にも関わり、京都だけではなく全国にたくさん伝説なども残っています。ですが、守敏の記録は多くは残っていません。

    ではなぜ西寺は衰退してしまったのでしょうか?

    それでは二人のエピソード、東寺と西寺の歴史を紐解いていきましょう!

    東寺の御影堂

    空海と守敏は事あるごとに対立をしていたそうです。

    そんな中、事件が起こります。

    雨が全く降らなくなり干ばつが続き人々は非常に困っていました。

    そこで朝廷が空海と守敏に雨乞いの儀式対決を行わせます。

    守敏は西寺の金堂で祈祷を行いましたが雨は一滴も降りませんでした。

    ところが空海が『神泉苑』で祈祷を行なっていたところ善女龍王様が現れ雨が降ってきたのです!その雨は3日間降り続いたそうです。

    空海が雨乞いの祈祷を行なった神泉苑
    境内にある法成就池

    一説によると守敏は空海ばかりを重宝する朝廷を逆恨みして龍神を閉じ込め雨を降らせないようにしていたとか…。

    自分が雨を降らせないようにかけていた法術のせいで自分でもここぞという時に雨を降らす事が出来なかった、なんだか皮肉な話しですね。

    その後、更に怒り狂った守敏は空海殺害まで企てます。

    みどりこ

    怖いね…

    ですが、仏に守られている清き心の空海。

    矢で撃たれそうになった際にお地蔵様が現れて代わりに矢を受け空海を守ってくれました!

    そのお地蔵様が今も『矢取地蔵』として唐橋羅城門公園の入り口にあります。

    矢取地蔵尊

    お地蔵様の背中には矢の刺さった傷が残っています。

    唐橋羅城門公園の中には羅城門遺址の碑もあります。

    興味がある方は東寺から歩いて5分程度ですのでこちらにも寄ってみて下さいね。

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