【興福寺】と阿修羅像

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    奈良の観光スポットとして『東大寺』や『春日大社』に並び有名な興福寺。

    近鉄奈良駅から緩やかな坂道を奈良公園の方向に歩いているとすぐ興福寺の境内が見えてきます。

    何度も歴史に翻弄された興福寺。簡単な歴史と見どころをご紹介します。

    • 何度もピンチに遭うも不死鳥の如く復興を繰り返した興福寺
    • 今では国宝の五重塔は売却されそうになった!?しかもたったの○○円
    • 仏像界のアイドル『阿修羅像』幼い顔立ちの意味
    • 301年ぶりに再建された中金堂
    目次

    興福寺

    東金堂と五重塔

    興福寺は法相宗(ほっそうしゅう)の大本山。南都七大時の一つです。藤原鎌足(ふじわらかまたり)の奥さんによって創建された『山階寺(やましなでら)』を起源として平城京遷都の際に現在の場所に創建されました。

    藤原氏とゆかりが深く、創建当初から中世にかけて非常に力のある寺院でした。

    『でした』と過去形なのは、明治時代の『廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)』により興福寺は廃寺寸前まで追い込まれてしまったのです。

    では『廃仏毀釈』と興福寺の再建についてご紹介します。

    廃仏毀釈で超ピンチ!五重塔は売却されて無くなっていたかも!?

    『廃仏毀釈』なんだか難しい名前ですが、仏像好きなわたしが一番嫌いな言葉ですッ!!(笑)

    廃仏毀釈の意味はコチラ

    廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院仏像・経巻(経文巻物)を破毀(破棄)し、仏教(宗教)を廃する現象のこと。「廃仏」は仏(宗教の対象)を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(仏教の開祖)の教えを壊(毀)すという意味。

    出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)

    平たく言うと『仏教なんて無くなっちゃえ!』と政府がお寺や仏像・経典を破壊したんです。

    この廃仏毀釈により数多くの貴重な日本の歴史的財産が失われました。

    興福寺もこの廃仏毀釈で大打撃を受けます。

    多くのお堂は破壊され、境内も没収されてしまいます。

    宝暦の時代に描かれた『春日興福寺境内図』には現在の数倍もの規模だった境内が描かれています。

    奈良女子大学学術情報センター様より引用

    現在の奈良国立博物館、奈良県庁、奈良地方裁判所、奈良ホテルが建てられている敷地も元は興福寺の境内です。

    そんな中、五重塔にも悲劇が訪れます。

    京都にある東寺の五重塔に次ぐ規模を誇る興福寺の五重塔の売却が行われたのです。

    その金額は25円とも言われています。

    買主は五重塔の金属の飾り、そして木材を転売して儲けようとしたとか。ですが、解体費用が莫大にかかる事が分かり難を逃れる事が出来たそうです。(金属だけでも換金する為に塔ごと燃やしちゃえなんて計画もあったそうです…)

    なんと罰当たりな…。(明治政府もですがッ!)

    規模が大きかった故に難を逃れた五重塔は、現在も私たちが目にすることの出来るとても貴重な歴史的遺産です。

    ちょうど五重塔の修復が数年前から始まり、私が訪れた先月も足場が組まれていました。

    2030年には修復も終わるそうなので、またあの立派な全貌を見れる時を楽しみにしたいと思います!

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    仏像界のアイドル!幼い顔をした阿修羅像。

    興福寺様公式ホームページより引用

    こちらの興福寺の阿修羅像は非常に有名な仏像ですので仏像に興味がない方でもどこかでご覧になった事があるのではないでしょうか?

    阿修羅とは仏教の守護神です。元はインドの神話に登場する悪い神様でした。ですが、お釈迦様の説法を聞いて今までの悪行を反省して仏に帰依しました。それからは仏教を守護する八部衆に属して八方を守る神の一員となりました。

    元は悪い神様…なんだか一般的に阿修羅像は非常に厳しい(怖い)お顔をされているので納得です。

    一般的には怖い表情をされている阿修羅像ですが、興福寺の阿修羅像は子供のようなお顔をされていますよね。

    こちらの像は光明皇后が母である橘三千代の一周忌供養のために造られたと言われていますが、この像のモデルは1歳の誕生日を前に亡くなった我が子の基王(もといおう)の面影を偲んで製作されたのではないかと言われています。

    興福寺には奇跡的にも『八部衆』の像が全て現存します。こちらの像も幼い顔をしていますが、年齢が少しずつ違います。

    母の一周忌は基王が生きていたら6歳になっていた年です。

    光明皇后は亡くなった我が子の成長する姿を写していたのかもしれません。

    301年ぶりに当時の規模で再建された中金堂。

    中金堂は2018年に約300年ぶりに再建されました。

    中金堂は平安時代以降6度も火災に遭い、その度に再建されてきました。ですが江戸時代の火災以降は財政的な問題により再建が進まず、規模を縮小して造られた仮堂も老朽化の為に2000年に解体されました。

    その後、創建当時の様式で復元する為の発掘調査などを経て2010年に『立柱式』2014年に『上棟式』を行い、2018年には再建落慶を迎え中金堂が復元されました。

    わたしも2012年に興福寺を訪れた際に瓦を寄進させていただきました!

    2012年の中金堂。まだまだ建物の全貌が見えない頃ですね!

    中金堂には通年入れるのかと思っていましたが、7月に興福寺を訪れた際には残念ながら参拝は出来ませんでした。(参拝時には最新の情報を検索される事をオススメします!)

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