和とモダン建築のコラボ【南禅寺】と周辺の見どころ

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    歴史あるお寺の境内に突如現れるモダンな建築物。

    今では京都の代表的な写真スポットになった水路閣、約100年の時を経て南禅寺に溶け込むまでの紆余曲折、季節ごとにさまざまな顔を見せてくれる南禅寺の見どころをご紹介します。

    • 絶景かな絶景かな!京都の街を望む南禅寺三門
    • 境内の中を貫く煉瓦造りのモダン建築。水路閣って何?
    • 京都近代化の立役者。蹴上インクラインとは?
    • 疎水が生み出した美。無鄰菴に流れる疏水の水
    目次

    南禅寺

    南禅寺法堂

    南禅寺は臨済宗南禅寺派の総本山で正式名称は瑞龍山太平国南禅寺(ずりょうざんたいへいこくなんぜんじ)といいます。

    禅寺としても格式が高く、京都五山(五山送り火で有名な五山です)の最上位(1位よりもっと上)の『五山之上(ござんしじょう)』に位置付けられています。

    天皇家ともゆかりがあり、南禅寺のある場所は元々後嵯峨天皇が建立した禅林寺殿があった場所に亀山法皇が瀧安山禅林禅寺(りょうあんざんぜんりんぜんじ)と改めたのが南禅寺の起源と言われています。

    絶景かな絶景かな!石川五右衛門の名台詞と南禅寺三門

    南禅寺を訪れるとまず目に飛び込んでくるのが、この立派な三門。

    こちらの南禅寺の三門は同じく京都にある『知恩院』そして山梨県にある『久遠寺』の三門とともに『日本三大門』と呼ばれています。

    創建当初の三門は火災により消失していまいましたが、現在の三門は大阪夏の陣で戦没した藩士を弔う為に藤堂高虎(とうどうたかとら)により寄進されました。

    こちらの三門は通年上に登ることが出来ます!かなり急な階段を恐る恐る登ると京都の街を一望できます。

    みどりこ

    この階段、本当に傾斜がすごくて怖かった…。気を付けて登ってね!

    三門から見る景色はまさに『絶景かな、絶景かな』です!

    京都の街を見下ろすことが出来ます。

    こちらのセリフ、歌舞伎狂言の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』であの有名な大泥棒石川五右衛門が南禅寺の三門の上から満開の桜を見下ろして言った名セリフです。

    現在はちょっと木々が多かったりで想像とは違う部分もありましたが、せっかくなのであの急な階段を登って京都の景色を一望するのも良いのではないでしょうか!

    よろしければ石川五右衛門のお墓がある大雲院について書いたコチラもご覧ください。

    突如として境内に現れるモダンな水路閣。水路閣ってなに?

    秋の紅葉真っ盛りの水路閣

    南禅寺の境内奥にある巨大なレンガ造りの建造物。

    こちらが『水路閣』です。水路閣は明治21年に建造された琵琶湖の水を京都に運ぶ為の水路橋です。

    和の建築にはないアーチ状の構造が特徴です。

    水路閣の上に登って実際に琵琶湖の水が流れている様子も見ることが出来ます。

    水路閣の上部

    こちらの水は滋賀県の大津市から南禅寺を通り、南禅寺のすぐそばにある蹴上(けあげ)という場所まで流れています。

    大津市にある琵琶湖疏水の出発地点がコチラ!

    ここから琵琶湖疏水が始まります

    ここから京都まで水路(疎水)が続いています。

    ではなぜ水路は造られたのでしょうか?

    明治時代になり都(みやこ)が東京に移されます。

    千年にわたって日本の都であった京都は東京遷都により人口が大幅に減少し、このままでは京都が衰退してしまうと京都の都市再生の為に琵琶湖疏水は造られました。

    琵琶湖から続く水路を使い舟での物資の行き来や、水力を使った産業の活性化を図る事にしました。この水力発電により日本初の路面電車が走るなど京都の街は急速に発展します。

    この一大プロジェクトにより京都の街は活気を取り戻す事が出来ました。

    工事は400万人もの人が携わり、多くの問題に悩まされながらも琵琶湖疏水は完成しました。

    その問題の中でも特に大きな問題だったのが、水路閣が南禅寺の境内の中を通るルートが計画された事です。

    当初の計画では水路はもっと山側を通す予定でした。

    ですが、先ほどお話しした南禅寺の起源の瀧安山禅林禅寺を創建した亀山天皇の分骨所がトンネル予定地のすぐ側を通る事が分かったのです。

    もちろんこの計画を聞いた宮内庁からは工事のストップがかかります。

    そこで急遽、南禅寺の境内を通る計画に変わった訳です。

    もちろん『由緒正しい歴史のあるお寺の境内に水路を造るなんて』という声はたくさんありました。

    一万円札で有名なあの福沢諭吉さんも

    諭吉さん

    京都が名所旧跡を失えば京都に来る人は居なくなる。京都は近代化するのではなく、伝統文化都市として繁栄するのが望ましい

    と水路閣建設を反対をしていたそうです。

    もちろん南禅寺も大反対します。

    歴史あるお寺の境内に当時最先端の建築物を造る訳ですから、そういう意見が出るのも仕方ないですよね。

    ですが天皇の分骨所の側にトンネルと通す訳にもいかないので、結局南禅寺の境内に水路を建築する事になります。

    当時は建設の大反対にあった水路閣。

    100年以上の時(とき)が経った今、苔むした水路閣は境内にしっとりと馴染み、京都を代表する観光名所になっています。

    みどりこ

    諭吉さん。水路閣はのちの世に立派な観光スポットになったよ〜!

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