2024年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公、紫式部。
今回はそんな紫式部にゆかりがあるスポットをご紹介します。
・紫式部もお参りした縁結びの神社【片岡社】
・道長の暮らした邸宅跡【土御門第跡】
・〇〇と目と鼻の先!?紫式部邸宅跡【廬山寺】
・紫式部は地獄に落ちた?【千本えんま堂】
・意外な人物と一緒に眠る【紫式部墓所】
紫式部
紫式部は平安時代中期に歌人・作家・そして藤原道長の娘の彰子の女房として活躍しました。
女房とは宮中や貴族の屋敷に仕えた女性
紫式部は藤原為時(ためとき)の娘として下級貴族の家に生まれました。
紫式部の本名は今も分かっていません。
紫式部と言う名前はペンネームです。
大河ドラマではまひろと言うオリジナルの名前が付けられています。
清少納言や和泉式部も本名は分かってないんだって
紫式部は数々の日記を残していますが、中でも一番有名なのは『源氏物語』の作者ということではないでしょうか?
源氏物語は平安時代の貴族社会を背景に、光源氏(ひかるげんじ)という主人公の生涯を中心に描かれる物語。
光源氏は数多くの女性との恋愛や結婚、失恋を経験します。
物語は彼の愛と苦悩、人間関係や死に至る運命を通して、愛と喪失、運命の脆さを描きます。
また、貴族社会の風俗や文化、儀礼なども詳細に描かれており、当時の日本の生活や価値観を垣間見ることができます。
紫式部の優れた文章と緻密な心理描写が、源氏物語を日本文学の古典として称賛され、今でも人々に愛される作品となっています。
源氏物語は世界最古の長編恋愛小説です。
その数、全部で54帖!!
初めの40(または41)帖が光源氏が主人公で、42〜54帖が光源氏の息子の薫(かおる)や孫の匂宮(におうのみや)のお話しだよ!
薫って実は光源氏の本当の子供じゃなかったりするんだよね…
そうそう!3人目の正妻の不義の子で…。しかもその相手が息子の親友で…。。とにかく、読んでいくうちにどんどん引き込まれていくよ!
今は源氏物語の漫画もたくさん出ていますので、本を読むと眠くなっちゃう人は漫画で読むのがオススメ!
今は本や雑誌が読み放題になるサブスクリプションも充実しているので、本を毎回購入しなくてもスマホやタブレットから気軽に読めるようになりましたよね。
私は【Kindle unlimited】を利用していますが、たくさんの源氏物語の著書があるのでオススメです。
気になる方は下記にリンクを貼っておきますので覗いてみて下さいね!
話は逸れましたが、1000年も前に書かれた物語なのに今読んでも面白い!
ひと昔前までは、お昼の時間に『昼ドラ』っていう純愛とは真逆のドロドロした恋愛ドラマをよくやっていたんですよ。
平たく言うと、そんな感じです(笑)
紫式部さん、平たく言いすぎてゴメンね!
いつの時代も人ってそういうお話し、好きなんだと思います。
平安時代は今より娯楽も圧倒的に少ない時代。
そんな時代に文武両道でイケメンな光源氏が数々の恋を重ねていく刺激的な物語は人々を魅了していたのだと思います。
そして、紫式部が宮中に居たからこそ書ける平安時代の雅な貴族の様子も垣間見る事が出来ます。
映画化もされていますので、気になる方はご覧になってみて下さいね!
こちらは生田斗真くんが光源氏を演じた『源氏物語 千年の謎』イケメン光源氏を見事に演じられています。
そして、こちらは天海祐希さんが光源氏を演じた『千年の恋 ひかる源氏物語』
さすが元宝塚歌劇団男役トップスター!女性がキュンキュンする美しい光源氏を演じておられます。
親子で見ると、親が非常に気まずいと思うシーンが多くありますのでそちらはご注意ください(笑)
【Kindle unlimited】の詳細はコチラ上賀茂神社の境内にある『片岡社』
上賀茂神社の境内にある24社の中で第1摂社に定められている片山御子神社(かたやまみこ)通称『片岡社』
摂社とは 神社の神様と深い関係がある神様をお祀りしている神社
片岡社は紫式部が度々参拝していたことでも有名な神社です。
片岡社の絵馬は紫式部とホトトギス、そして紫式部が片岡社を訪れた際に詠んだ和歌が描かれています。
ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし
意味:ホトトギス(将来の結婚相手)の声を待っている間は、この片岡の社の梢の下に立って朝露の雫に濡れていましょう
こちらの片岡社のご利益は恋愛成就です。
きっと紫式部もこちらに恋愛成就のお参りに来ていたんでしょうね。
皆さんも遥か昔から恋愛成就のご利益のある片岡社、訪れてみてはいかがでしょうか?
こちらに片岡社や片岡社のある上賀茂神社の記事をまとめていますので、よろしければご覧ください。
〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
土御門第跡
土御門第とは、紫式部が仕えていたあの藤原道長(みちなが)の邸宅があった場所です。
平安時代の貴族の結婚は初期と中期以降で少し変わってきますが、男性が妻の家に通う『妻問婚(つまどいこん)』や、妻の家に婿に入る『招婿婚(しょうせいこん)』がありました。
この土御門第は正妻の源倫子の実家です。
道長は源倫子の家に婿に入ったので、この土御門第が主要な邸宅になりました。
現在は立て看板があるのみとなっていますが、かつてこちらには寝殿造りの立派なお屋敷がありました。
土御門(つちみかど)とは、土御門大路に面していることに由来しています。
今も京都市内中心の住所は道の名前(通り名)で表している場所も残ってるんだよ
紫式部は道長の娘で天皇に嫁いでいた彰子の女房になり、彰子への教育を任されていました。
そして、道長の一番の目的。
それは天皇が彰子の元を訪れ、天皇との間に子どもを授かる事。
娘の彰子が天皇の子供を産む事が出来たら未来の天皇の外祖父になれるんですね。
外祖父とは母方の祖父
一条天皇には既に道長の兄の藤原道隆(みちたか)の娘定子が入内しており、一条天皇の寵愛を受けていました。
政略結婚が普通だったこの時代だけど、一条天皇と定子は相思相愛だったんだって
ですが、その定子は第三子の出産で亡くなってしまいます。
亡き定子を思い続ける一条天皇。
道長は亡き定子に思いを寄せ続ける一条天皇をどうにかして彰子の元に通わせたいと試行錯誤します。
そんな中、物語の使い手と評判の高かった紫式部に白羽の矢が立った訳です。
道長の思惑通り一条天皇は彰子の元に通うようになりました。
こうして、彰子は一条天皇との間に無事二人の男の子を出産し、後に二人の子供たちは『後一条天皇』と『後朱雀天皇』となりました。
土御門第跡
〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑
廬山寺
廬山寺は京都御苑の東側、なんと道長の邸宅があった土御門殿から目と鼻の先にあります。
そうなんです!
今はもう看板しか残っていない土御門邸を先ほどご紹介したのは、廬山寺と土御門邸のこの距離感を是非体感していただきたいと思ったからです。
土御門邸から廬山寺は当時信号など無い事を考えると、徒歩5分もかからないと思います。
こんなに近所なら道長さん、絶対頻繁に通ってたな…笑
などと思いを巡らしながら拝観するのも楽しいと思います。
廬山寺は『元三大師良源(がんざんだいしりょうげん)』によって船岡山の南に創建されました。
ですが、室町時代に起きた『応仁の乱』で焼失した後、比叡山焼き討ちで織田信長に狙われてしまいますが、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の女房奉書により焼き討ちを免れ、天正13年に現在地に移転しました。
その移転先が紫式部の邸宅跡だった訳です。
しかも、紫式部の邸宅跡だと分かったのは戦後です。
つい最近なんですよね!
歴史学者の角田文衛(つのだぶんえい)による研究によって判明しました。
境内には紫式部邸宅跡を記念する顕彰碑が建てられ、本堂前には白砂と苔で平安朝の庭園を表現した『源氏庭』が京都の街中の喧騒を忘れさせてくれます。
11月頭に行ってきたけど、まだ桔梗が咲いていたよ!
〒602-0852 京都府京都市上京区北之辺町397
引接寺(千本えんま堂)
引接寺(いんじょうじ)は高野山真言宗の寺院で、通称の『千本ゑんま堂』の名の通り、ご本尊は閻魔法王です。
引接寺は小野篁(おののたかむら)自ら閻魔法王の姿を刻んで祠(ほこら)を建立して祀ったのが始まりと言われています。
この小野篁、この後も登場するから覚えておいてね
こちらのお寺には紫式部の供養塔と、源氏物語千年を記念して2008年に寄進された『紫式部ブロンズ像』があります。
今でもたくさんの読者やファンがいる源氏物語。
ですが、平安時代物語は「嘘」として扱われ、人々の心を惑わせたという罪により紫式部は地獄に落ちたという話が『宝物集』や『今物語』という説話集に書かれています。
当時は源氏物語に魅了されてファンになった人まで地獄に落ちると思われていたんだって…
この千本閻魔堂の供養塔はそんな紫式部を地獄から救い、成仏させたいという想いから南北朝時代の至徳(しとく)3年(1386年)に建立されました。
〒602-8307 京都府京都市上京区閻魔前町34
紫式部墓所
堀川北大路を南に下った島津製作所の一角に、紫式部と先ほど登場した小野篁のお墓がなんと並んで佇んでいます。
小野篁。
そうです。先ほどの引接寺を建てた人です。
2人のお墓が並んでいる理由は諸説あるらしいのですが、小野篁は閻魔大王に仕えあの世(地獄)とこの世を行き来していたと言います。
物語を書いた罪で地獄に落ちたと言われる紫式部と小野篁のお墓が並んでいる様子を見ると、きっと今は閻魔様への小野篁の説得で紫式部は極楽で幸せに暮らしているのではないかなぁと思いました。
千本ゑんま堂や紫式部墓所は別記事でも詳しくご紹介していますのでよろしければご覧ください。
小野篁卿墓・紫式部墓所
〒603-8165 京都府京都市北区紫野西御所田町
あとがき
かなりのボリュームになってしまいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
ゆかりの地を訪れる際に少しでも人物や歴史に触れていると見え方が変わって来たりします。
【光る君へ】も残りあと少し。終わってしまうのが寂しいです…。
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