今回は【鳥辺野】と呼ばれる平安時代以来の京都の葬送の地についてご紹介します。
この地域には葬送の地ならではの観光スポットやエピソードがたくさんあります。
今回注目するスポットは『六波羅蜜寺』『六道珍皇寺』そして『幽霊子育飴』のエピソードです。
それでは六波羅蜜寺からご紹介します!
- 口から何か出てますよ?六波羅蜜寺と空也上人
- お地蔵様が手に持っているのはホンモノの髪の毛!?鬘掛地蔵
- 冥界に通っていた!?六道珍皇寺の冥界への通路
- 死しても子を想う親心。幽霊子育飴
京都の三大葬送地のひとつ、鳥辺野について
京都の鳥辺野(とりべの)はかつては葬送の地でした。
京都には三大葬送地があります。『化野(あだしの)』『蓮台野(れんだいの)』そして『鳥辺野』です。
現在の京都では東山区五条周辺です。観光客で賑わう清水寺もかつて鳥辺野と言われた場所になります。
身分の高い人以外の庶民は『風葬(ふうそう)』という遺体を風にさらして風化を待ったり、『鳥葬(ちょうそう)』という鳥に委ねる葬送を行っていました。
平たく言うと、遺体を野ざらしにして放置して処理をする…ということです。
今の時代には考えられない事ですが、当時はこれが普通。遺体が転がっている風景…ちょっと想像すらしたくないですが、平安時代は数々の戦や疫病も流行っていたので相当な数の遺体が放置されていた事でしょう。
そのような場所に建てられたのが『六波羅蜜寺』と『六道珍皇寺』でした。
それでは六波羅蜜寺のご紹介からいきましょう!
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は約1000年前、空也上人(くうやしょうにん)というお坊さんが六波羅の地に十一面観音立像を造り『西光寺(さいこうじ)』を建立したことに始まります。空也上人は醍醐天皇の第二皇子。つまり皇室出身です。(京都には実は皇室とゆかりのある寺院がたくさんありますので、今後皇室にゆかりのあるお寺についても記事にしてみたいと思います)
平安時代も今の世の中と同じように人々は地震、自然災害、争いや疫病に悩まされていました。
空也上人は、京の市中を歩き『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と唱えて人々に念仏を広めました。
この口称念仏(くしょうねんぶつ)は南無阿弥陀仏と唱えることで救われると非常にシンプルなものだったので人々に広く受け入れられ、空也上人は浄土教の先駆者と言われています。
空也上人は様々な宗派と関わり、中立的な立場をとっていたので空也上人を中心とする宗派はなかったそうです。
それでは次はその空也上人の仏像についてご紹介します。
空也上人像。口から出てるものは阿弥陀様。
六波羅蜜寺に安置されている『空也上人像』は非常にインパクトがある仏像です。口から何かが飛び出しています。
六波羅蜜寺様公式ホームページより引用
口から出ているもの、こちらは『南・無・阿・弥・陀・仏』です。
これは空也上人が念仏を唱えるとその念仏が阿弥陀仏になったという伝承を表しています。
数々の仏像を見てきていますが、こちらを拝見した時はやはり非常に興味深かったのを覚えています。
こちらの作者は仏像界のレジェンド、運慶(うんけい)の四男である康勝(こうしょう)。父の運慶のような非常にリアルな描写で血管や筋なども細かく表現されています。
実際に拝見すると、まるで生きているようにも見えるリアルな描写に息をのみます。
実際の人間よりは少々小ぶりな像ですが、一度拝見したら皆さんの記憶にもはっきりと残るインパクトを与えてくれると思います。
人の髪を持つお地蔵様!?鬘掛地蔵
左手に人間の髪の毛を持つお地蔵様。別名を『鬘掛地蔵(かつらかけじぞう)』といいます。
六波羅蜜寺様公式ホームページより引用
一瞬「おぉ…」となってしまいますが、この仏像にはエピソードがあります。
その昔、父親の留守中に母親が亡くなり葬儀も出来ずに困っている娘がいました。するとお坊さんが訪ねてきて母親を供養してくれました。娘は貧しかったのでお坊さんにお布施を渡せず、代わりに母親の髪の毛を渡しました。そのお坊さんにどちらのお寺におつとめなのか伺うと「六波羅蜜寺です」とそのお坊さんは言いました。後日、六波羅蜜寺に訪れるとそのお坊さんはおらず、地蔵堂のお地蔵様の手に髪の毛が握られていて『あのお坊さんはこのお地蔵様の化身(けしん)だったんだ!』と気付きました。
このようなエピソードに基づいてこのお地蔵様は造られました。不思議だけど心温まるエピソードです。
お地蔵様は私たち人間に一番近い仏様です。お姿も人間の形をしています。
地獄に落ちた人間を救ってくれるのもお地蔵様なのはご存じですか?私たちに非常に身近な仏様なんですね。
では次は冥界への入り口があると言われる六道珍皇寺をご紹介します!
〒605-0813 京都府東山区五条通 大和大路上ル東
六道珍皇寺
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は『六道さん』の名前で親しまれ臨済宗建仁寺派(りんざいしゅうけんにんじは)に属するお寺です。
六道とは仏教の教義でいう『地獄道・餓鬼(がき)道・畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人道・天道』の冥界を表し、人は因果応報(いんがおうほう)により死後はこの六道のどれかに属するとされています。
六道珍皇寺はこの分岐点にあり、この世とあの世の境目にあるとされ『六道の辻』と呼ばれます。
境内に入ると篁堂(たかむらどう)があります。こちらには閻魔様の像や小野篁(おののたかむら)の像があります。
小野篁はあの小野妹子の子孫です。この篁には伝説があり、昼間は朝廷に使える宮廷官人、夜はこの六道珍皇寺にある井戸から地獄に通い閻魔様に支えていたと言うのです。なので篁堂には閻魔様に並んで篁の像があるんですね。そして小野篁は当時の平均身長が150センチほどだった頃にまさかの188センチもあったそうです!今でも188センチと言えば『めっちゃ身長高いね』となるので当時の人としてはかなり珍しかったのではないでしょうか。
こちらが篁が冥界に通うために使っていたという井戸です。
こちらは入り口。ということは出口は?となりますが、近年の調査で六道珍皇寺に隣接する旧境内の敷地内から『黄泉がえりの井戸』が発見されたそうです!
上記の『冥土通いの井戸』と『黄泉がえりの井戸』は一般公開されているので是非ご覧になってみてはいかがでしょうか!
〒605-0811 京都府京都市東山区大和大路通四条下る小松町 四丁目小松町595
【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!幽霊子育飴
文字だけ見ると『何?幽霊?怖ッ。。』となるのですが、このエピソードが非常に胸にグッとくるんです。
450年以上続く歴史のある飴屋『みなとや子育飴本舗』は夜になると女の幽霊が飴を買いに来るという伝説があるお店です。
昔、女が夜になると飴を買いに来るようになり、翌朝代金を納めている銭箱を見ると木の葉が1枚入っているということが続きました。不思議に思った当時の店主はある夜女の後を追います。すると女は鳥辺野の墓地で姿を消します。すると土の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえました。そこは赤ちゃんを身ごもったまま亡くなった女性を埋めたお墓でした。お寺に事情を話してそのお墓を掘り返してみるとお墓の中には飴をしゃぶった赤ちゃんがいました。女性は死後に赤ちゃんを出産し、幽霊となって赤ちゃんの為に飴を買いに来ていたんです。飴の代金として渡された木の葉はこの女性のお墓に供えられていた樒(しきみ)の葉っぱでした。
母の愛情ですね(泣)
この赤ちゃんはその後立派なお坊さんになったそうです。
こちらが、子育て飴!素朴な甘みが口の中に広がって美味しかったです
みなとや幽霊子育飴本舗
〒605-0063 京都府京都市東山区轆轤町 東入ル西
あとがき
鳥辺野周辺『六波羅蜜寺』『六道珍皇寺』そして『幽霊子育飴』をご紹介をしました!
かつての葬送の地には数々のエピソードがありますね。葬送の地と言うと少し怖いと思ってしまいますが、自分のご先祖さまの事を思いながらお寺をお参りしてみるのも良いかもしれません。
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