【八坂神社】と『祇園祭』

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    四条通りの東の起点にあるのが八坂神社。

    八坂神社は『祇園』の名前の由来にもなりました。

    今回は八坂神社の歴史や祇園祭のエピソードをご紹介したいと思います!

    • 立派な西楼門は神社の正面じゃない?
    • 祇園は祇園社の門前町
    • 美人になれる?行きましょう!美御前社
    • 八坂神社と祇園祭
    目次

    八坂神社

    八坂神社は全国にある八坂神社の総本山です。京都のメインストリートといえる四条通りの東側にあり、諸説ありますが平安京が出来る前からあるたいへん歴史の長い神社です。(神社と呼んで良いのか後ほどご紹介しますね)

    花街として知られる祇園も八坂神社の門前町として栄えました。

    それでは八坂神社の歴史を見ていきましょう!

    西楼門は神社の正面ではないの?

    八坂神社西楼門

    四条通りの東の突き当たりにある朱塗りのとても立派な門。こちらが西楼門です。

    京都はの街は三方を山に囲まれた『盆地』にあります。京都の夏はとても暑くて冬はものすごく寒いと言われる由縁ですね。

    その東側にある東山の縁、盆地との境目に西楼門は立っています。

    こちらのとても立派な門が八坂神社の正面の入り口と思われている方も多いと思いますが、実は八坂神社の正面はこちら↓

    こちらが正門の石鳥居

    境内の南側にあります。

    西楼門と比べてしまうと少しひっそりとしていますが石で造られた立派な正門です。

    写真奥の朱塗りの建物が南楼門です。

    祇園祭の際にお神輿は必ずこちらの南楼門を通ります!由緒正しい楼門です。

    老朽化が進んでいましたが近年修復工事が行われ、きれいな朱塗りの門が復活しました。

    八坂神社を訪れた際はこちらの南楼門も是非ご覧になってみて下さい!

    八坂神社と『祇園』の名前の由来。

    八坂神社が八坂神社と呼ばれるようになったのは実は明治に入ってからです。

    それまでは神仏が融合した施設で『祇園社』と呼ばれていました。

    祇園社の名前の由来は祭神であった『牛頭天王』が祇園精舎の守護神であるとされていた事から名付けられました。

    時代は江戸から明治に移り、新政府は『廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)』を行います。

    これにより多くのお寺や仏像が破壊され、神仏が融合していた施設は分離させられました。

    仏教はぞんざいに扱われ、貴重な文化財も壊せれたり外国に売られたり…。

    仏像大好き人間なのでこの話を始めてしまうと長くなってしまいそうなので話を戻しますね。

    本殿は『祇園造』という神仏習合時代の名残を残している非常に貴重な建築様式です

    こうして祇園社は八坂神社として現在の姿になりましたが祇園社の門前町は今でも祇園と名前が付いています。

    そしてたくさんの人が集まる門前町は、京都を代表する花街『祇園』に発展しました!

    美御前社

    八坂神社の中にはたくさんの末社(まっしゃ)があります。

    その中の『美御前社(うつくしごぜんしゃ)』は美容の神様として非常に人気があります。

    社前に湧き出る美容水をお肌に数滴つけると身も心もキレイになると言われており、わたしも何度も行っていますがいつも行列が出来ていました。

    美容水

    美容水のご利益、しっかりいただきましょう!!

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